日本樽美流吟詠会総本部

風光明媚の誉高き明石にて樽美國城一流を開く

詩吟とは

詩吟は、江戸時代後期に武家の子弟を教育した私塾や藩校において、
漢詩を素読するときに節をつけて詠んだことに始まり、それらの門人が全国に広めました。
江戸、明治、大正、昭和を通じて、文士調、勤王調の二つの吟調が共存しながら伝えられた日本伝統文化であり今日に至っています。
詩吟は、腹式呼吸が自然と身につき、老化防止や若さを保つ為に良いと言われています。
また、詩吟(吟詠、朗詠などとも言う)はその詩を詠まれた先人の志や心情を知り、知識や教養も身につきます。
吟詠の対象としては、漢詩、和歌や俳句など様々で、
琴や尺八、オーケストラなどを伴奏としたり、剣舞や詩舞と合わせて吟じられることもあります。

ご挨拶

日本の伝統文化である詩吟は、現在において人が忘れがちな礼節、思いやりの心を伝承しております。
我が伝統ある日本樽美流吟詠会は、「正気・詩魂・和」の精神を継承し、更に微力ながら詩吟文化の興隆発展と地域社会への奉仕に努めます。
会員一同、絆を一層深め、研鑽いたします。
令和4年12月4日、日本樽美流吟詠会 創立90周年を無事に終え、更に100周年を目指して精進していく所存でございます。

宗範会長 河田婉城

設立の経緯と由来

日本樽美流草創期の起源は遠く昭和初期に遡る。樽美宗家は名を「幸馬」と称し、明治23年5月18日長崎県西彼杵郡大瀬戸町雪浦に生まれた。宗家は東京在住当時、岳城流吉村岳城宗家に師事し、「翠雲」の吟号を取得した。その後勤務の都合により、兵庫県明石市上の丸に居を移された為、吉村岳城宗家の紹介により昭和11年日本國風流松本國風宗家の門下に入門「國錦」の吟号を受け、更に同年「國城」の吟号を取得のうえ四天王の1人として活躍したことは有名である。また、明石で多く同士の指導にあたり、日本樽美流明石吟詠会の基礎を確立した。
当時、亀井虎城・藤原銀城・西口賀城・野島鯱城氏等が名を連ね、これに後藤岳城氏が入門、ここに故あって昭和26年國風流から分家独立、樽美國城宗家を中心に日本樽美流明石吟詠会として独立した。以後は6地区吟詠会の生成発展を招来せしめ今日に至る。

写真左 樽美國城宗家、
写真右 亀井虎城初代総範会長
旧一心会館にて

組織概要

総本部
〒675-0041 
兵庫県加古川市西神吉町宮前821-39 
宗範会長 河田婉城方
TEL 079-431-3847
事務所
〒674-0058 
兵庫県明石市大久保町駅前1丁目8-5 
理事長 灰野龍城方
TEL 078-936-0055
明石地区吟詠会
支部:錦城、播磨、大久保、西神戸、林西新町、明石神明、玉津南、伊川谷
高砂地区吟詠会
支部:神鋼、高砂相生、若松、観涛
加古川地区吟詠会
支部:清流、平岡山之上、西神吉、稲美菊徳、れいすい(麗水)、豊栄、稲美
滋賀地区吟詠会
支部:大津、膳所、逢坂、山中、晴嵐
京都地区吟詠会
支部:柳川、京都花園、京都御所

令和5年4月1日現在

※各支部へのお問い合わせについては、上記事務所 理事長 灰野龍城までお願い致します。

沿革

昭和3年(1928年)
樽美幸馬先生、東京の岳城流 吉村岳城宗家に師事、「翠雲」の吟号取得
昭和7年(1932年)
樽美幸馬先生、兵庫県明石市へ転居、多くの同士を指導し「樽美流」の基礎を確立
昭和11年(1936年)
吉村岳城宗家の紹介により、日本國風流 松本國風宗家の門下に入門
「國錦」の吟号を授与される
同年、「國城」の吟号を授与され、日本國風流四天王の一人として活躍
昭和22年(1947年)
当時、亀井虎城・藤原銀城・西口賀城・野島鯱城氏等が名を連ね、
これに後藤岳城氏が入門(紫洲流日本明吟会から移籍)
昭和26年(1951年)
日本國風流から分家独立、樽美國城宗家を中心に日本樽美流明石吟詠会創立
昭和52年(1977年)
諸活動の円滑化を図るため地区吟詠会を設置
昭和61年(1986年)
明石吟詠会の名称改正 日本樽美流吟詠会総本部と改称

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